●あれから・・・
あの世の中を震撼させた事件からもうこんなに時間が経ったのですね。
逆にまだ・・・・・という気持ちが強いです。
事件に大小がないのは分かっていますが、薄れるくらい悲惨な事件が
起きている今の日本。宮崎死刑囚の手記もまったく心に響きません。
ビデオに埋め尽くされた自室で遺体を切断し、遺骨を被害者宅に送りつける異常な犯行で社会を震撼(しんかん)させた宮崎勤死刑囚(45)に17日、死刑が執行された。
昭和から平成に変わる1年足らずの間に、幼女4人が次々と殺害された連続幼女誘拐殺人事件から20年。裁判では精神鑑定が2度も行われたが、その心の内は最後まで見えなかった。最高裁判決の後、「何かの間違い。そのうち無罪になる」と語った宮崎死刑囚。遺族への謝罪や反省の言葉を口にすることはなかった。
「先月まで毎月2回、手紙が届いていた。何を食べたとか近況が事細かに書いてあり、本人も執行はまだまだ先だと感じていたと思う」。宮崎死刑囚と300通以上の手紙を交換してきた月刊誌「創」の篠田博之編集長は、そう語った。
宮崎死刑囚は2006年2月、篠田編集長との手紙をまとめた著書を出版。死刑とした最高裁判決(06年1月)について、「『あほか』と思います。『その裁判官、あとで泣くことになるぞ。ばかだなあ』と思います」などと記していた。殺害した4人の幼女や遺族に対しては、「(改めて何か言うことは)特にありません。良いことができてよかったです」と、遺族感情を逆なでするような言葉もつづっていた。
1990年3月から始まった東京地裁の1審公判では、「私の車とビデオを返してほしい」と訴えたり、「ネズミ人間が現れた」などと不可解な発言をしたりして、自分の世界に閉じこもった。
死刑確定まで約16年もかかった裁判は、犯行時の責任能力が最大の争点となり、「多重人格」「統合失調症」など3通りの鑑定結果が出た。宮崎死刑囚は著書の中で、「また鑑定を少しやってみたくなった」などと精神鑑定に対する“執着”も見せていた。
04年に奈良市で起きた女児誘拐殺人事件で死刑が確定した小林薫死刑囚(39)が、「第2の宮崎勤として、私のやったことが世間の記憶に残ってほしい」と供述したことに対し、著書に「精神鑑定も受けずに『第2の宮崎勤』は名のらせません」と書いた。
07年に篠田編集長にあてた手紙では、死刑について触れ、「現行の執行方法だと、死刑確定囚の人は、刑執行時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる。アメリカで行われている薬物使用執行をしなければいけない」と主張していた。
(2008年6月17日13時56分 読売新聞)


