2008年06月21日

●結局

結局、橋下知事のような人材が内部にいないからこういう状況になったんでしょう?
OBも含め責任のある人物が矢面に出ないのはさすがといった感じですね・・・。



「財源もないのに給料をくれくれと言われても困る」「私たちの首よりイルミネーションの方が大事なのか」

 20日から徹夜で続いた橋下知事と職員労組の団体交渉は時折、怒号が飛び交う激しいやりとりになった。

 府労連との交渉は20日午後10時から府庁の会議室で始まった。新居晴幸委員長が「職員にも家族がいる。生活がある」と人件費削減案の撤回を迫ると、橋下知事は「府財政を立て直すためには避けて通れない」と反論。空調が切れ、蒸し風呂のような会議室で交渉が続いた。

 府労連は給与明細を示して組合員の生活実態を訴えたが、橋下知事は「財源がない。どこを削ったらいいんですか」と逆質問。平行線の議論に「ふざけるな!」とのヤジが飛ぶと、橋下知事が「『ふざけんな』という言い方、いいんですか。これが世間の労使交渉なのか」と憤る一幕もあった。午前4時を回り、人事室長が「時間も時間ですし」と水を向けても、新居委員長は「帰りません」とはねつけ、議論を続けた。

 新居委員長は団交の最後に立ち上がり、「7時間、誠実に対応されたことを感謝したい」と橋下知事に謝意を表明しつつ、「府労連の歴史の中で初めて交渉が決裂したと表明せざるを得ない」と無念さをにじませた。

 一方、府労組連は午前6時半前から団交に入った。

 教務事務補助員など約350人の廃止問題に批判が集中。業を煮やした女性が御堂筋のライトアップを目指す橋下知事に「イルミネーションより、私たち350人の首の方が下ってことですね」と詰め寄ると、橋下知事は「私の責任でそう判断しました」と発言、怒号が渦巻いた。

 橋下知事が「民間では破綻(はたん)すれば路頭に迷う。世間を知ってください」と迫ると、組合側も「破綻していないのに路頭に迷わせようとしている」と切り返し、「民間なら理不尽な提案があればストライキできるが、我々はお願いするしかない」と訴えた。

 一連の団交で橋下知事は「私は選挙の洗礼を受けている。世論調査でも削減案は支持されている」と強調。組合側の反論に「それなら、そういう代表者を選んだらいい」と言い放ち、紛糾することもしばしば。橋下知事は午前9時からの民主党国会議員への予算要望をキャンセルし、最後まで団交を続けた。(稲垣大志郎、斎藤利江子)


2008年06月18日

●個人的には

個人的には納得にいく方向性だと思うんですが・・・・・。
きっちりさえしてくれればですけれど・・・。



 民主党の鳩山由紀夫幹事長は18日午前、福田康夫首相が消費税率引き上げ論議の必要性に言及したことについて都内で記者団に「上げる必要はない。タイミングでもない」と批判した。民主党の次期衆院選のマニフェスト(政権公約)にも税率上げを盛り込むべきではないとの認識を示したものだ。(17:03)


2008年06月17日

●あれから・・・

あの世の中を震撼させた事件からもうこんなに時間が経ったのですね。
逆にまだ・・・・・という気持ちが強いです。
事件に大小がないのは分かっていますが、薄れるくらい悲惨な事件が
起きている今の日本。宮崎死刑囚の手記もまったく心に響きません。



ビデオに埋め尽くされた自室で遺体を切断し、遺骨を被害者宅に送りつける異常な犯行で社会を震撼(しんかん)させた宮崎勤死刑囚(45)に17日、死刑が執行された。

 昭和から平成に変わる1年足らずの間に、幼女4人が次々と殺害された連続幼女誘拐殺人事件から20年。裁判では精神鑑定が2度も行われたが、その心の内は最後まで見えなかった。最高裁判決の後、「何かの間違い。そのうち無罪になる」と語った宮崎死刑囚。遺族への謝罪や反省の言葉を口にすることはなかった。


 「先月まで毎月2回、手紙が届いていた。何を食べたとか近況が事細かに書いてあり、本人も執行はまだまだ先だと感じていたと思う」。宮崎死刑囚と300通以上の手紙を交換してきた月刊誌「創」の篠田博之編集長は、そう語った。

 宮崎死刑囚は2006年2月、篠田編集長との手紙をまとめた著書を出版。死刑とした最高裁判決(06年1月)について、「『あほか』と思います。『その裁判官、あとで泣くことになるぞ。ばかだなあ』と思います」などと記していた。殺害した4人の幼女や遺族に対しては、「(改めて何か言うことは)特にありません。良いことができてよかったです」と、遺族感情を逆なでするような言葉もつづっていた。

 1990年3月から始まった東京地裁の1審公判では、「私の車とビデオを返してほしい」と訴えたり、「ネズミ人間が現れた」などと不可解な発言をしたりして、自分の世界に閉じこもった。

 死刑確定まで約16年もかかった裁判は、犯行時の責任能力が最大の争点となり、「多重人格」「統合失調症」など3通りの鑑定結果が出た。宮崎死刑囚は著書の中で、「また鑑定を少しやってみたくなった」などと精神鑑定に対する“執着”も見せていた。

 04年に奈良市で起きた女児誘拐殺人事件で死刑が確定した小林薫死刑囚(39)が、「第2の宮崎勤として、私のやったことが世間の記憶に残ってほしい」と供述したことに対し、著書に「精神鑑定も受けずに『第2の宮崎勤』は名のらせません」と書いた。

 07年に篠田編集長にあてた手紙では、死刑について触れ、「現行の執行方法だと、死刑確定囚の人は、刑執行時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる。アメリカで行われている薬物使用執行をしなければいけない」と主張していた。

(2008年6月17日13時56分 読売新聞)


2008年06月16日

●大きな

大きな争いに発展しなければ良いのですが・・・・・・。



16日午前3時50分ごろ、尖閣諸島・魚釣島の西南西約76キロで、台湾の抗議船「全家福6号」が同島に向かって航行しているのを警戒中の巡視船が発見した。同号はその後、日本の領海内に入り、近くにいた台湾の巡視船も入域した。海上保安庁によると、同諸島付近で台湾の巡視船が領海内に立ち入るのは異例。海保の巡視船の退去警告後、同号は午前8時半すぎ、領海外に出た。
 抗議船は、同島付近で10日に海上保安庁の巡視船と接触した台湾の遊漁船が沈没した事故に抗議するため、活動家らが乗り組み15日夜、台湾北部の港を出港していた。
 海保によると、同号は午前5時3分、魚釣島の西南西約44キロで、領海に隣接する「接続水域」に入り、その後、同5時53分には同島の西南西約22キロで、台湾の巡視船3隻と領海内に入域。このため、海保の巡視船が中国語などで退去するよう警告した。同号は午前8時36分、領海外に出た。
 第11管区海上保安本部(那覇)などによると、領海に入った巡視船の数はさらに2隻増え、計5隻を確認。魚釣島に向かっていたが、同6時52分、同島まで約1キロに近づいた所で針路を変更。抗議船と島の周囲を時計回りに回るなどしているという。